先月の読書
「犠牲 わが息子・脳死の11日」 柳田邦男
ノンフィクション作家のの著者の
25歳の次男が自死を図り、その後
意識が戻らぬまま脳死状態となった。
次男・洋二郎さんは、中学生の時の失明恐怖を
きっかけに神経症となっていた。
心の病に苦しみ、戦い続けた結果、選んだ道だという。
内容は大きく二部に分かれている。
一部は、父親としての追悼記
二部は、専門家として脳死・移植論
著者は職業柄、医療に詳しい知識を持っており、
当時提唱され始めた「インフォームドコンセント」の
検討会の座長を依頼されていた。
それゆえか、著者自身も混乱していたであろうに
病院に運ばれた直後の様子や
医師の説明などが驚くほど明確に描かれている。
タイトルの「サクリファイス」は、洋二郎さんが
感銘を受けたという、旧ソ連からの
亡命映画作家の作品から。
名も知れぬ人間の密かな自己犠牲。
それが誰かの幸せにつながっている。
残された家族は、彼の臓器を移植することを
決断する。
脳死状態というのは、植物状態とは異なり
数日から1、2週間で心臓が停止するそうだ。
[不可逆的機能停止]-絶対に元に戻らない状態。
脳死の判定は2回行い、厚生省の判断基準6項目
(1)深昏睡
(2)瞳孔の固定
(3)脳幹反射の消失(5種類の反射テスト)
(4)平坦脳波の確認
(5)無呼吸テスト
(6)聴性脳幹反応
しかし脳死と判定される状態でも、
髪も爪も伸び、溢血痕がひいていく。
偶然かもしれないが、家族が来れば血圧や心拍数が上がる。
とてもこの体にメスを入れ、臓器を取り出してください
とは言えなかったそうだ。
柳田氏は脳死を「個体の死の前段階の一つ」ととらえた。
脳死臨調の議論に欠けていた「二人称の死」。
なぜ彼、彼女が死んだのか、物理的なことではなく
「なぜ」を腹に納めるために「物語」が必要だという。
そしてそれには「死」を受け止めるための「時間」が必要となる。
柳田氏とその家族が「なぜ」を腹に納め、
洋二郎さんの意思を尊重することができたのは
医師の説明や看護士のケアに助けられたことが大きかっただろう。
グリーフワーク(悲嘆の仕事)の必要性
そして脳死-臓器移植という西洋的な流れと死の定義とは別の
日本的な「死」について提案をしている。
(1) 一般的には心停止をもって死とするが、
脳死を受け入れる人は脳死をもって死とする。
(2) どの段階での死を選択するかは、本人の生前の意思による。
脳死を死とする場合は近親者の同意も必要とする。
確かに「脳死」が「死」かそうでないか
選べる方がよい。
何も二択にする必要はない。
「死」は「医学」や「法」のものではなく、「人の」なのだ。
そもそも「医学」も「法」も人のためにある。
線引きをするのはあくまで便利さのためだ。
なぜ病気や怪我を治療するのか。
私が痛い、苦しいのは嫌だ、と
あなたが痛そう、苦しそうなのは嫌だ
という気持ちがあるからだと思う。
産まれた以上、必ず訪れる「死」。
それは本人だけでなく、家族、友人、知人
残された人にとっても大事な出来事だ。
状況は様々だろうが、一人一人が
便利の追及のための負荷に苦しまないような
しくみを期待したい。
自分自身はどうだろう。
意識がなければどうなっても判りようが
ないだろうが、今のところ体の部分が
離れることには抵抗がある。
それと同じくらいの質量で、もし誰かの
役に立つならば、役立ててほしいと思う気持ちもある。
誰かに伝える機会も少ないので忘れそう。
で、ここに書いて時々思い出そうと思う。
公の立場にもある
父から息子への
哀惜の情が詰まった一冊。
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犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日 (文春文庫) 著者:柳田 邦男 |





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