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2009年2月の記事

2009年2月22日 (日)

夢のような・・・

はぁ~~~。

モエツキタ。
モエツキマシタ。

バービーボーイズ最高。。。

言いようのない余韻が体と心を駆け巡る。


やっぱ好きだわ。



もう、告白します。今更。

好きです。

お願い。
また演って。

プリーズ。

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2009年2月21日 (土)

RE.BBB

もうすぐ2月22日。

待ちに待った。
そう。明日は。


BARBEE BOYSのライブ!

まさかライブに行ける日がくるなんて・・・。
当時は田舎住まいでライブなんて夢のまた夢。
行けるものと思っていなかった。

カセットテープ(懐)で聴きたおした学生時代。
ハスキーボイスの男女ツインボーカル。
細やかでキレのあるギター。
日本語がぴたりとはまるメロディーと早いリズム。
個性的なメンバーのルックスは
歌詞とあいまって様々なドラマを想像させた。

大人になったらこんな恋をするんだろうか、
なんて思っていたよ。
大人の時間を通り過ぎそうだ。

なんにしろ、楽しみなのだ。
なのに風邪ひいちまってるよ。大丈夫か私。
熱はないけど咳きこみそう。
薬飲んで寝るべ。

ライブ行くまでのドキドキもお楽しみ。

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2009年2月14日 (土)

政治と生活

麻生総理

なんちゅうーか、信頼できん人やね。
あまりにもお粗末。
森さんを超えた。

意味不明瞭な2兆円の定額給付金。
郵政民営化・あの時実は反対だった発言。
漢字の読み間違いなんかどうでもいいと思ったんだけど
それすらも物事を正確に理解しようという心構えの薄さからと
思えてしまう。

あの時発言なんて、総理と言わず身近な人が
言っても腹立たしい。
中途半端に修正するあたりがまたいやらしい。

直接選挙で総理を選べない国民としては
ヘンな人が社長になってしまい
困惑するばかりだ。

この政権が1日長く続けば
日本経済の回復が1日後退する、
ような気がする。

小泉さんも「殺されてもいい」
とまでの信念で推進した郵政民営化を
同じ総理の席の人間にえらく軽く否定され、
やむなく口をはさんだというところか。

このご時世にトップがこんなんでは
たまったものではない。

いっそどん底まで行けば
新しい勢力の苗床になるかな。
倒幕ならぬ倒閣といったところで
民主党に期待もできなさそうなのが
ツライところ。

東国原さんや橋下さんのような
地方政治のトップが希望の種だ。





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先月の読書

「犠牲 わが息子・脳死の11日」  柳田邦男

ノンフィクション作家のの著者の
25歳の次男が自死を図り、その後
意識が戻らぬまま脳死状態となった。

次男・洋二郎さんは、中学生の時の失明恐怖を
きっかけに神経症となっていた。
心の病に苦しみ、戦い続けた結果、選んだ道だという。

内容は大きく二部に分かれている。
一部は、父親としての追悼記
二部は、専門家として脳死・移植論

著者は職業柄、医療に詳しい知識を持っており、
当時提唱され始めた「インフォームドコンセント」の
検討会の座長を依頼されていた。

それゆえか、著者自身も混乱していたであろうに
病院に運ばれた直後の様子や
医師の説明などが驚くほど明確に描かれている。

タイトルの「サクリファイス」は、洋二郎さんが
感銘を受けたという、旧ソ連からの
亡命映画作家の作品から。
名も知れぬ人間の密かな自己犠牲。
それが誰かの幸せにつながっている。

残された家族は、彼の臓器を移植することを
決断する。


脳死状態というのは、植物状態とは異なり
数日から1、2週間で心臓が停止するそうだ。
[不可逆的機能停止]-絶対に元に戻らない状態。

脳死の判定は2回行い、厚生省の判断基準6項目
(1)深昏睡
(2)瞳孔の固定
(3)脳幹反射の消失(5種類の反射テスト)
(4)平坦脳波の確認
(5)無呼吸テスト
(6)聴性脳幹反応

しかし脳死と判定される状態でも、
髪も爪も伸び、溢血痕がひいていく。
偶然かもしれないが、家族が来れば血圧や心拍数が上がる。
とてもこの体にメスを入れ、臓器を取り出してください
とは言えなかったそうだ。

柳田氏は脳死を「個体の死の前段階の一つ」ととらえた。
脳死臨調の議論に欠けていた「二人称の死」。
なぜ彼、彼女が死んだのか、物理的なことではなく
「なぜ」を腹に納めるために「物語」が必要だという。
そしてそれには「死」を受け止めるための「時間」が必要となる。

柳田氏とその家族が「なぜ」を腹に納め、
洋二郎さんの意思を尊重することができたのは
医師の説明や看護士のケアに助けられたことが大きかっただろう。

グリーフワーク(悲嘆の仕事)の必要性

そして脳死-臓器移植という西洋的な流れと死の定義とは別の
日本的な「死」について提案をしている。

(1) 一般的には心停止をもって死とするが、
     脳死を受け入れる人は脳死をもって死とする。
(2) どの段階での死を選択するかは、本人の生前の意思による。
  脳死を死とする場合は近親者の同意も必要とする。


確かに「脳死」が「死」かそうでないか
選べる方がよい。
何も二択にする必要はない。

「死」は「医学」や「法」のものではなく、「人の」なのだ。
そもそも「医学」も「法」も人のためにある。
線引きをするのはあくまで便利さのためだ。

なぜ病気や怪我を治療するのか。
私が痛い、苦しいのは嫌だ、と
あなたが痛そう、苦しそうなのは嫌だ
という気持ちがあるからだと思う。

産まれた以上、必ず訪れる「死」。
それは本人だけでなく、家族、友人、知人
残された人にとっても大事な出来事だ。

状況は様々だろうが、一人一人が
便利の追及のための負荷に苦しまないような
しくみを期待したい。

自分自身はどうだろう。
意識がなければどうなっても判りようが
ないだろうが、今のところ体の部分が
離れることには抵抗がある。
それと同じくらいの質量で、もし誰かの
役に立つならば、役立ててほしいと思う気持ちもある。

誰かに伝える機会も少ないので忘れそう。
で、ここに書いて時々思い出そうと思う。


公の立場にもある
父から息子への
哀惜の情が詰まった一冊。

犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日 (文春文庫) 犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日 (文春文庫)

著者:柳田 邦男
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