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2008年12月の記事

2008年12月29日 (月)

今年の講演

忘れないうちにメモ。

先月、森達也さんの講演を聞く。

テーマは
「メディアによって喚起される危機管理意識の危険性」

彼の本を何冊か読んで、
共感したり、なるほどと思ったり、ん-?と思うところがあった。
道を探している人、という印象だ。

彼の疑問や興味の向く方向が
かつて自分も何かを感じながらも
「こんなものなのかな」とスルーしながら
心の奥に気になっているものだった。

会場に現れた森さんは
真黒な無地のパーカーにカーキ色のカーゴパンツ。
なんですかその普段着は。
髪は写真や映像で見た時より短かいが、
整髪料等で整えてはなさそうで、顔色はどす黒い。
たぶん知らずに出会ったら、一瞬は
プラスよりマイナス印象が強く残るだろう。(スミマセン・・・)

しかし、マイクを渡され、会場をぐるりと見まわし
発声する彼の表情や目つきと声は
穏やかな、力強いものだった。

最近シンシュウのお呼びが多いとのこと。
シンシュウ?信州、長野県か?
いや会場はお寺だし真宗か。

講演の内容は、森さん自身「演歌歌手みたいなもの」
と言うように、種が限られているらしい。
いくつかの著作や雑誌、発言などと重なる部分が
多くあった。


さて、印象に残ったこと。

■報道について
オウム事件の当時、メディアで描かれる
信者の像は「凶暴凶悪」か「洗脳されたロボット」
の二つだったという。
両論併記しているようで、両論ともマイナスだ。
一方、森さんのドキュメンタリー「A」を見た
多くの人の感想は「普通の人」「むしろ優しい」。
このギャップはなぜか。
当時のメディアで、オウム信者を「普通の人」とすると
抗議が来て放送できなかったからだそうだ。
抗議の元は、テレビ局上層部 - 制作会社 - スポンサー - 視聴者だ。
なぜ、抗議するのか。
凶悪な事件を起こす人が「普通」であるはずがないからだ
異質であって欲しい、という希望にメディアが応えるからだ、という。

で、ここで思ったことが(講演時は言葉にならなかったけど)、
じゃあどういう報道をすれば良かったのか。
「怖い」→「なぜこうなったか」→「どう防ぐか」
知りたいのはこのことだ。

普通でむしろ優しい人間が
組織的な犯罪、殺人を犯す。
「凶悪人」「洗脳」以外の角度からも
怖れず、面倒がらずに、光を当てられれば
「なぜこうなったか」
がもう少し見えたのではないか。

森さんによると、オウム事件によって
通信傍受法などがすんなりと成立した。
国民を保護する目的はあるのだろうが、
「怖い」→「どう防ぐか」
にワープし、力づくのようで、納得しきれない。
諸刃の剣だ。


現状のテレビのシステムでは、オウムに限らず
企業や宗教団体等の批判は難しいのかもしれない。
でも、
報道とスポンサーの分離、
報道関係者と視聴者の知識と問題解決意識の向上、
理想的なメディアの形が明確ならば、
支障となる問題を一つずつ解決していけば
目標に近づくはずだ、と思います。


■モンゴルの喧嘩防止方法
人口の半数近くが首都に集中し、人口過密と遊牧民ゆえの
ナイフ所持率の高さから、ちょっとしたことで刃傷沙汰の
事件が多かったという。
そこでそれを減らすために決められたこと。
うっかりぶつかったり蹴ったりしたら、お互いが握手をする。
向かい合って手を握ると人は怒りにくい。
傷害事件がぐっと減ったそうだ。

これ、いいですね。
日本でそのまま同じことはできないだろうけど、
カメラや警備員によるセキュリティ強化という
人を警戒する方法より、ずっと発想が明るい。


その他、いろいろな話があった。
今回の公演、机があったのでメモをとってみた。
やはり記憶だけでは8割(!)くらいは忘れている・・・。
猫並みの記憶力だ。
とはいえ、写し間違いがあるかもしれないので
ここには書かない。

時々読みかえして考えよう。

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2008年12月27日 (土)

夜旅

今日は納会。
ついでに二次会。

終電一本前の電車に乗る。
寝過ごす。

最寄り駅の二つ先。
到着と同時に目が覚めるが
そこは終着駅でもあった。

向かいのホームは薄暗い。
折り返しの電車はもうない。

駅前はバスターミナルがある。
バスはもうないがタクシー乗り場はあった。
が、ここは終着駅。
すでにタクシー乗り場には20人以上の行列ができている。

待つのは好きではない。
たとえ到着するのが遅くとも。

私鉄電車の駅二つ。
歩けない距離ではない。
普段降りない駅なので土地勘は全くないが、
線路があるので方向だけはわかる。

歩く。

ダウンジャケットのファスナーを首まで上げれば
寒くはない。
片耳にイヤホンを差し、音楽を聞きながら
線路横の道を歩く。

線路横の道はすぐに脇にそれ、住宅街になる。
人通りはほとんどない。
思いのほか古く、大きな家が多い。
時々車の通る音がする。

住宅街を抜けると土手に突き当たった。
一級河川だ。

方向と近い橋を確認するため土手に登る。

線路は左。橋らしい明かりも見える。
右はやや遠くにやや明るい橋の街灯が見える。
空が広い。星がきれいだ。
ふと、土手を歩けば気持ちいいだろうと思う。

が、さすがに止めておく。
人がいるから怖いこともあるが
人がいないのも怖い。
全く誰もいないのが確実ならいいけれど、もし誰かいたら、
夜中に土手を歩くなんてどんな人か知れたものではない。
と、深夜の土手を歩こうとした自分を棚に上げつつ、
住宅街に戻る。

もしここで事件や事故にあったら、
なんてバカなことをするのだろうと
思われるだろうな、などと考える。

線路を越え、やっと信号機が点滅する道路に出る。
が、やはり車どおりは少ない。
こんな交通量の少ない道に橋が架かっているのかと
不安になりかけたが、歩道のついた車線表示のない橋にでる。
橋というものは、渡るときにわくわく感と少しのおそれを伴う。

橋を渡ったあたりが一駅目のはずだ。
地続きのところに来たおかげか、
碁盤の目の町並みのおかげか、少しほっとする。
あとは線路の高架沿いに行けば見慣れた風景になるはずだ。

自分のテリトリーに近づいたせいか
リラックスしつつ、でも足早に歩く。

歩き始めて約一時間、ようやく最寄りの駅に着く。

道に迷ったこともあるが、この間
電車でなら5分、電車賃は200円だ。
この200円の価値は高い。

200円呉れてやるから 歩けと言われれば、
体調や急ぎ具合にもよるが、歩く確率は
低くはないだろう。

電車って素晴らしい。
やれやれ。

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2008年12月24日 (水)

今月の映画

「マリー・アントワネット」

2006年のアメリカ映画。
ご存じフランス王妃。
映像が明るく華やかでポップな感じ。

夜会や舞踏会はクラブかディスコで遊びのよう。
心の通い合わない夫、外国人の女たらしとの恋。
子供が産まれてからはオーガニックな生活。
物わかりのよい、「いい子」なセレブ妻といったところか。
結婚からベルサイユ逃亡?までを
歴史モノというより、普通の女性感覚として描いている。



「ダンサー・イン・ザ・ダーク」

ビョーク主演。2000年のデンマーク映画。
公開当初から「報われない」「落ち込む」といった
感想をちらほら聞いていた。
心構えはあったものの、やはり衝撃を受ける。

主人公セルマが空想にふける時の
ミュージカルシーン以外は音楽や効果音はなく、
カメラワークはドキュメンタリーのようだ。
wikiによると「ドグマ95」という映画運動があるそうな。
アメリカ映画のように権利の主張や宗教がでてこず、
日本人の感覚には近いような気がした。

テーマやジャンルが一つに絞れない映画だが、
こちらの事情が変わったため、おそらく公開時とは
注目する所が違うであろうことがあった。
それは今、日本で始まろうとしている裁判員制度、
そして今も続く死刑制度。

裁判という問題解決制度は
主張すること、弁護士の技術-費用といった
正義、真実とは別の価値で結果が大きく左右される。
そしてその結果、一度確定した「死刑」は。
文字で書かれた法律が、巨大な壁となり
刑場までの後戻りのできない道になる。

こう考える機会になることが裁判員制度の長所かもしれないが
重大事件だけというのが反対だ。
ある程度、積み重ねというものが必要だと思います。

それにしても、ビョークの感情に直結した音楽も素晴らしいが
演技がすごい。
撮影当時の精神状態は大丈夫かと思うほどだ。
印象に残る映画。

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2008年12月19日 (金)

AKG-SC2008 FINAL

アジカンのライブに行く。
酔杯ツアーのラスト。

ホールは満員御礼。
一曲目。
「藤沢ルーザー」が始まると、
一斉に観客の腕が体が動く。
壮観だ。
しおまねき、という蟹を思い出した。
そろそろと、蟹の仲間入り。

最初に3曲ほど歌って、ごあいさつ。
少しトークするかと思いきや
「アジアンカンフージェネレーションです」
と言ってまた演奏。
おーい。少し休みなはれ。

シャイでトークやパフォーマンスが苦手なロックバンド。
観客の男女比は5:5くらいでしょうか。
音楽以外の不器用さもまた魅力の一つか。

ほとんど休みなしの演奏が続く。
何曲歌ったのだろう。
後藤氏の声がヘリウムを吸ったかのように
少し高くなる。
声帯大丈夫でしょうか。

それにしてもアレンジが良いね。
音が楽しい。
ギターにベースにドラム、そして声。
必要最小限で、いろいろな光景が広がる。

曲順は最初の曲の後、
崩壊~君繋~ソルファ~ファンクラブ~ワールドワールドワールド
とアルバムを辿るように続く。
彼らの歴史の集大成。
最近の曲も好きだが、崩壊-君繋の曲も好きだ。
初期のころの曲が聞けるとは思っておらず
嬉しい誤算。

あっという間に終りの時間。
二回目のアンコールのあと、
「・・・ウエーブが見たい」と後藤氏。
一往復の波のあと、音の返礼。

最後はワールドワールドワールドと新しい世界。
夢のような時間は過ぎてしまうと夢のようだ。

今年発表した三枚のアルバムでは
夜を抜けた感があった。
力強い繊細さを持つ彼らの、
今年の活躍に感謝を。
そして来年の活躍を期待します。

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2008年12月15日 (月)

今月の読書 12月編

空気が乾燥しだすと目が痛くて読書がツラい。

「梁塵秘抄」  西郷信綱

梁塵秘抄そのものではなく、
歌の解釈を書いたもの。

「梁塵秘抄」のタイトルは聞いたことがあるけど
見るからに字画が多く難しそうなイメージ。
その由来は

 声よく妙にして、他人の声及ばざりけり。
 聴く者賞で感じて涙おさへぬばかりなり。
 謡ひける声のひびきに、梁の塵起ちて三日居ざりければ、
 梁の塵の秘抄とはいふなるべし云々。

字のとおり、梁のちりなのであった。
司馬遼太郎さんの「風塵抄」を思い出す。

編者は後白河法皇。
自ら何度も喉をつぶすほど入れ込んだ
「今様」の集大成だ。
「今様」は和歌ではなく歌謡、流行歌なのだそうな。
流行歌であるから、出所が庶民や遊女だったりする。

 我を頼めて来ぬ男
 角三つ生ひたる鬼になれ さて人に疎まれよ
 霜雪霰降る水田の鳥となれ さて足冷たけれ
 池の浮草となりねかし と揺りかう揺り揺られ歩け

女が男を呪った歌である。
リズム良く、ぼろくそだ。


 遊びをせんとや生まれけむ
 戯れせんとや生まれけん
 遊ぶ子供の声聞けば
 我が身さへこそゆるがるれ

聞いたことがある。うろ覚えながら、好きな歌です。
誰が歌ったのかによって解釈が分かれているそうだ。
まぁ、聞いて浮かぶイメージで楽しむのもアリだと思います。


 我が子は十余に成りぬらん 巫してこそ歩くなれ
  田子の浦に汐汲むと いかに海人集うらん
  まだしとて 問ひみ問はずみなぶるらん いとおしや

 我が子は二十になりぬらん 博打してこそ歩くなれ
  国々の博党に さすがに子なれば憎かなし
  負かひたまふな 王子の住吉西宮

これも色々と説があるようです。
なんせ平安時代後期の流行歌なので
正確なことなど誰にも判らないでしょう。
巫(かんなぎ)は歩き巫女、博徒とともに
社会のアウトサイダーと見なされていたようだ。
ドラマが見え隠れしています。


その他、土から生えたような匂いを感じる歌が
多くありました。
和歌よりも生生しく、人の感情は平安時代と
地続きなものだと感じました。
当時の生活の気配を知る上でも興味深いものです。

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