ロックスター2
優しさを貫くには
強さが必要だ。
あなたのことを考えている。
ライブに行ったこともないし
アルバムを揃えてるわけでもないし
発言や行動の全てを知っているわけでもない。
ただ、気になる人だった。
最初は変な人、だと思った。
化粧してるし、歌い方は変だし、声はかすれてるし、名前はふざけてるし。
なのに何時から好きになってたんだろう。
素顔でトーク番組に出ているときは、すごく恥ずかしそうだった。
歌やステージの上での破天荒さとは真逆のよう。
照れ屋なんだね。
そして、とても常識人なんだと思った。
世間と同調する常識ではない。
自分の心の常識、それは多くの人が心に持っているものだ。
そして、ポーズではない「愛」があった。
過激で皮肉を込めた歌にも底辺にはっきりとした「愛」があった。
私が知らなかった彼の生き様が沢山ある。
かっこいい人だ。
清い志
これは本名だったんだね。
いい名前を貰い、その通りに生きた。
ありがとう。ありがとう。
かっこいい先輩。かっこいいおじさん。
あなたの生き様は私の心を動かす。
私なりのやり方でいいから、小さなことでもいいから
正しいと思うことを不可能と思わずやってみよう。
自分の中で
変わってきたことが
あるように思う。
やっと
前に向かって行っていいのだと
思えるようになった、
のかな。
5年。
だよな。
どうか、どうか
このまま前を向いて行けますように。
楽しいことがあると
不安な気持ちになる。
でも、そうじゃない。
楽しいことは楽しいと感じていいんだ。
たとえ苦しいことがあっても
それは楽しかったことと
別のことなんだ。
そう、思えますように。
あいつもきっとツライ年月だったろう。
やっと再生し始めたのかな。
どうか、どうか。
少しずつ、前を向いていけますように。
NHK
夜9時のニュースでトップに12分も流すことか?
経済界への影響は多少あったかもしれないけど。
ワイドショーみたいだ。
てめえの影響こそ考えろよ。
これが大麻だとか薬物ならまだ判る。(疑惑はあったみたいだけど)
仕事以外で酔っ払って騒いだぐらいで、ぐちゃぐちゃ言うなよ。
全世界に会見で醜態さらした大臣よりはよっぽどマシな行為だ。
というのが感想だ。
なんかね。
別にファンでもアンチでもないんだけど、
大変な商売やね。
私生活の行動で、億のカネが動き、報道されるって。
失敗することもあるさ
っていうのは、当事者にはとてもそうは思えないけど
でも人生にはありがちなこと。
それを体現して乗り越える、
もしかしたら初めての"アイドルグループ"になるかもね。
ちょっと休憩と反省して
戻ってきなよ。
剛くん。
あぁ。
かわいそうやなぁ。
なんで助けてあげられなかったんやろう。
どんなに辛かったやろう。
幸せに育つはずやったのに。
泣いたり笑ったりしながら
成長していくはずやったのに
本当にかわいそうや。
鋼の錬金術師 94話
いいわぁ。
世界各国でも人気の
この作品自体が
「正の一石」と
となりそうな。
正は正義ではなくプラスの意。
正義って言葉は振り回さないあたりが
日本的な感覚なのかなぁ。
「勝てば官軍」て言葉もあるし。
倫理と技術と魅力がこんなに一体となった作品は
今までなかったんではないだろうか。
少年誌だからこそ難しいことがあるだろうに。
大胆で繊細。
冷静で熱い。
正統なのに意外性を持ってて。
力強く優しい。
作者が主張したいことが
太い幹のように芯にありつつ
遊び心の枝葉も広げている。
思わず想像するのよねぇ。
この作品のおかげで正義と復讐に名を借りた
争いが減るかもしれない。と。
すごい。
はたらくことがきらいではない。
そういうとしごろなのかもしれない。
げんだいにおいて、はたらくというこういは
ろうどうのたいかとして、いっていのかちをもった
つうかをうけとることだ。とおもう。
これがげんしのじだいであれば
ほうふなちしきとけいけんをもったもの
きょうじんなにくたいをもったもの
そのおんけいにあずかれるもの
わずかなさで、いきるかしぬかの
わかれみちとなる。
いっていのつうかと、それをりようするしゃかいが
あることで、まず、いしょくじゅうがたりやすくなった。
げんだいのせいかつは、ろうどうを
こじんがしょくりょうをえるためだけではなく
たにんのりえきになることをぜんていとして
なりたっている。
ひととのつながりをじゅうしするのは
このためかもしれない。
ちゅうせいからきんせいにおいて
ぶんめいがせいじゅくしてくると
げんしをおもえば
いきることはずっとらくになっている。
のぞんだせかいのひとつだろう。
おかげでちょっとしたぶきをたよりに
せけんのあらなみをなんとか
わたりあるいていける。
おおきなきばやはやいあし、おおきなみみは
もちあわせていない。
このしゃかいでいきのこるのには
なにがひつようなのだろう。
みたされすぎて
いきのこることのいみすらみうしないがちな
げんだいだけど
うまれてきたりゆうはじぶんがいちばん
うまれてきたからなんだよ。きっと。
うまれてきたのはつづきたいから。
うまれたりゆうとつづきはじぶんでさがせ。
忙しい時ほど妙なことをしたくなる。
ただいま繁忙期。
毎日のように終電付近の帰宅。
残業時間はもうすぐ自己最高記録っぽい。
そんな毎日に靴の煤けた感じが気になった。
あぁ磨きたい。光らせたい。
ということで帰宅してすぐに靴磨き。
黒靴くんを磨き、ついでに茶色くんも磨く。
なにも今やらなくても・・・普段めったにしないのに・・・・。
寝ろよ私。
あぁ、でも、綺麗になったら達成感。
次に履くとき気分がいいだろうなぁ。
なんかやる気スイッチが入ってるようだ。
あとちょっと。
忙しいからこそ、生活に少しの気持ち良さがほしい。
がむばれワタシ。
週末にアジカンライブに行った。
最近は仕事が忙しい。
毎日のように終電だ。
昨年暮れのアジカンのツアーはとても良かった。
ちょっと遠征なので旅行も兼ねて
気分転換の息抜きにはもってこいだ。
前回は「酔杯」今回は「ワールドx3」。
また違う構成で、アンプラグド、カルテット?との
アンサンブルもあり、音楽としての面白さがあった。
が、
が、
心が、まだ先週のバービーボーイズ持っていかれている。
結果、私の心に以前ほどの高揚感が湧かなかった。
連日の寝不足と旅の疲れもあったかもしれない。
回を重ねて慣れてきたのかもしれない。
ここ1か月毎日聴いていたのはバービーだった。
なんせ好きになって20年(!)だ。
初めてのライブ。2000人規模のライブハウス。
17年ぶりのツアー。次があるかわからない。
熱い想い(であろう)メンバー、そして観客。
この一体感は今まで体感したことのない最高ものだった。
思いおこせばアジカンの曲を聞いて好きになった時
ビートの早さや明るすぎないところ、
日本語歌詞と音の融和のバランスに
バービーボーイズを感じていいたなぁ。
言わば「初恋の人に似ていた」ところが
好きになったきっかけ、のようなものかもしれない。
あくまでも「男と女」「寂しさ」を唄うバービー。
「焦燥感」や内なる想い、「世界」観を唄うアジカン。
全く違うのだけどね。
どちらも別々のモノであり、優劣はない。
今聞いて、私の感覚では音楽的にどちらも面白い。
十代に聞いた音楽というものが特別なのか
二十年という時間の重さなのか
三十代の私には
バービーの「オトナの色気」が心地良く
アジカン「青さ」を眩しく感じてしまった。
まぁ作詞者として「社会に目を向ける」「発信する」ことを
大人というならば、ゴッチは大人だ。
イマサの作詞で広い「世界」は出てきていない。(と思う)
でもさ、「男と女」は善悪や正義では割り切れない、
わがまま、嫉妬、打算、軽蔑、すれ違い、裏切りがありふれている。
それでも二人はうまくいってたりしてさ。
(ex.玉置&石原?)
ソクラテスだって妻には悩まされたって言うし。
ある意味、世界共通、人類、動物共通の感情だろう。
そのドロドロした気持ちを音楽に乗せ、昇華できるってのは
すごいことだと思う。
久しぶりにまとめて聴いて、よくその感情を出せるな~と感心してしまった。
赤裸々な私小説、文学のようだ。
と、バービー語りになってしまった。
幸い?両方とも片思い。
心変わりしても breakin' glass にはならず
好きなものは好きなまま、形を留めて沸点が落ち着く。
どちらも長く聴いていきたい。
教訓。
ライブに行くなら一定の期間をあけるべし。
でも向こうの都合だしなぁ。。。
はぁ~~~。
モエツキタ。
モエツキマシタ。
バービーボーイズ最高。。。
言いようのない余韻が体と心を駆け巡る。
やっぱ好きだわ。
もう、告白します。今更。
好きです。
お願い。
また演って。
プリーズ。
もうすぐ2月22日。
待ちに待った。
そう。明日は。
BARBEE BOYSのライブ!
まさかライブに行ける日がくるなんて・・・。
当時は田舎住まいでライブなんて夢のまた夢。
行けるものと思っていなかった。
カセットテープ(懐)で聴きたおした学生時代。
ハスキーボイスの男女ツインボーカル。
細やかでキレのあるギター。
日本語がぴたりとはまるメロディーと早いリズム。
個性的なメンバーのルックスは
歌詞とあいまって様々なドラマを想像させた。
大人になったらこんな恋をするんだろうか、
なんて思っていたよ。
大人の時間を通り過ぎそうだ。
なんにしろ、楽しみなのだ。
なのに風邪ひいちまってるよ。大丈夫か私。
熱はないけど咳きこみそう。
薬飲んで寝るべ。
ライブ行くまでのドキドキもお楽しみ。
麻生総理
なんちゅうーか、信頼できん人やね。
あまりにもお粗末。
森さんを超えた。
意味不明瞭な2兆円の定額給付金。
郵政民営化・あの時実は反対だった発言。
漢字の読み間違いなんかどうでもいいと思ったんだけど
それすらも物事を正確に理解しようという心構えの薄さからと
思えてしまう。
あの時発言なんて、総理と言わず身近な人が
言っても腹立たしい。
中途半端に修正するあたりがまたいやらしい。
直接選挙で総理を選べない国民としては
ヘンな人が社長になってしまい
困惑するばかりだ。
この政権が1日長く続けば
日本経済の回復が1日後退する、
ような気がする。
小泉さんも「殺されてもいい」
とまでの信念で推進した郵政民営化を
同じ総理の席の人間にえらく軽く否定され、
やむなく口をはさんだというところか。
このご時世にトップがこんなんでは
たまったものではない。
いっそどん底まで行けば
新しい勢力の苗床になるかな。
倒幕ならぬ倒閣といったところで
民主党に期待もできなさそうなのが
ツライところ。
東国原さんや橋下さんのような
地方政治のトップが希望の種だ。
「犠牲 わが息子・脳死の11日」 柳田邦男
ノンフィクション作家のの著者の
25歳の次男が自死を図り、その後
意識が戻らぬまま脳死状態となった。
次男・洋二郎さんは、中学生の時の失明恐怖を
きっかけに神経症となっていた。
心の病に苦しみ、戦い続けた結果、選んだ道だという。
内容は大きく二部に分かれている。
一部は、父親としての追悼記
二部は、専門家として脳死・移植論
著者は職業柄、医療に詳しい知識を持っており、
当時提唱され始めた「インフォームドコンセント」の
検討会の座長を依頼されていた。
それゆえか、著者自身も混乱していたであろうに
病院に運ばれた直後の様子や
医師の説明などが驚くほど明確に描かれている。
タイトルの「サクリファイス」は、洋二郎さんが
感銘を受けたという、旧ソ連からの
亡命映画作家の作品から。
名も知れぬ人間の密かな自己犠牲。
それが誰かの幸せにつながっている。
残された家族は、彼の臓器を移植することを
決断する。
脳死状態というのは、植物状態とは異なり
数日から1、2週間で心臓が停止するそうだ。
[不可逆的機能停止]-絶対に元に戻らない状態。
脳死の判定は2回行い、厚生省の判断基準6項目
(1)深昏睡
(2)瞳孔の固定
(3)脳幹反射の消失(5種類の反射テスト)
(4)平坦脳波の確認
(5)無呼吸テスト
(6)聴性脳幹反応
しかし脳死と判定される状態でも、
髪も爪も伸び、溢血痕がひいていく。
偶然かもしれないが、家族が来れば血圧や心拍数が上がる。
とてもこの体にメスを入れ、臓器を取り出してください
とは言えなかったそうだ。
柳田氏は脳死を「個体の死の前段階の一つ」ととらえた。
脳死臨調の議論に欠けていた「二人称の死」。
なぜ彼、彼女が死んだのか、物理的なことではなく
「なぜ」を腹に納めるために「物語」が必要だという。
そしてそれには「死」を受け止めるための「時間」が必要となる。
柳田氏とその家族が「なぜ」を腹に納め、
洋二郎さんの意思を尊重することができたのは
医師の説明や看護士のケアに助けられたことが大きかっただろう。
グリーフワーク(悲嘆の仕事)の必要性
そして脳死-臓器移植という西洋的な流れと死の定義とは別の
日本的な「死」について提案をしている。
(1) 一般的には心停止をもって死とするが、
脳死を受け入れる人は脳死をもって死とする。
(2) どの段階での死を選択するかは、本人の生前の意思による。
脳死を死とする場合は近親者の同意も必要とする。
確かに「脳死」が「死」かそうでないか
選べる方がよい。
何も二択にする必要はない。
「死」は「医学」や「法」のものではなく、「人の」なのだ。
そもそも「医学」も「法」も人のためにある。
線引きをするのはあくまで便利さのためだ。
なぜ病気や怪我を治療するのか。
私が痛い、苦しいのは嫌だ、と
あなたが痛そう、苦しそうなのは嫌だ
という気持ちがあるからだと思う。
産まれた以上、必ず訪れる「死」。
それは本人だけでなく、家族、友人、知人
残された人にとっても大事な出来事だ。
状況は様々だろうが、一人一人が
便利の追及のための負荷に苦しまないような
しくみを期待したい。
自分自身はどうだろう。
意識がなければどうなっても判りようが
ないだろうが、今のところ体の部分が
離れることには抵抗がある。
それと同じくらいの質量で、もし誰かの
役に立つならば、役立ててほしいと思う気持ちもある。
誰かに伝える機会も少ないので忘れそう。
で、ここに書いて時々思い出そうと思う。
公の立場にもある
父から息子への
哀惜の情が詰まった一冊。
![]() |
犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日 (文春文庫) 著者:柳田 邦男 |
TBSの水曜夜10時
途中からながら、初めてまとまって視聴した。
つまらん。
ニュースステーションの時は
あまり気にならなかったけど、
久米宏氏の発言がノリだけで
投げっぱなしのようで、
少しイラつく。
時事問題を扱うようだけど
データらしいモノもなく
解決しようという気配も見られない。
そのくせ強引に意見を誘導しようとしているようだ。
トーク番組かと思いきや
ゲストの話の腰を折る。
興味深い話や笑えるところがない。
見ていなかった冒頭には
もっと力を入れてたのか?
うるさく感じる時テレビは消すので
最近はなかったが
久しぶりにテレビで不快だった。
おかげでテレビを考えるきっかけにはなったかな?
「ヴェニスの商人」
「リア王」 ウィリアム・シェイクスピア
シェイクスピアの有名なお話。
借金のかたに肉を切り取ろうとしたシャイロック
三人の娘の内、最も誠意ある末娘を信じなかったリア王
断片的には聞いたことがあるが、内容はよく知らなかった。
さて「ヴェニスの商人」
おもな主人公は
アントーニオ(商人)
VS
シャイロック(金貸し)
ロレンゾー(アントーニオの友人)
&
ジェシカ(シャイロックの娘)
バサーニオ(アントーニオの友人、財産を食いつぶす)
&
ポーシャ(遺産を相続した娘)
その他、道化のランスロット、ポーシャの侍女ネリッサ等。
この文を書くまで、タイトルの「ヴェニスの商人」は
シャイロックのことだと思っていた。
(読み終わっても思っていた)
「ヴェニスの商人」アントーニオは妙に影が薄い。
登場人物の中では一番まともそうなんだけど、そのせいかな。
その他アントーニオの友人(子分?)は
何を生業にしてるかもはっきりわからない。
バサーニオに至っては遺産を浪費した上
借金してお金持ちの娘を狙っている。
悪人には書かれてないんだけど、
ある意味諸悪の?根源。
なんといっても印象に残るのは、
金貸しのユダヤ人、シャイロックだ。
ユダヤ人の受ける理不尽さを語る場面がある。
現代日本の感覚だとシャイロックが気の毒になる。
当時はこれが理不尽ではないのか?とも思ったが
多くのセリフが恋や状況の比喩、軽口、説明なのに
シャイロックが語る言葉はいかにも主張めいている。
当時でもユダヤ人が不当な扱いを受けている、という空気は
当然のようにあったのかな?
そしてシャイロックと対決するのは変装したポーシャ。
それまでは親の遺言により、自分で結婚相手も
選べない状態だったのに、
不思議な役割を自ら負うことになる。
ちょっと強引な気もする。
喜劇にも悲劇にもなりそうだ。
「リア王」
なんだか怒涛のようだった。
登場人物は
リア王
リア王の三人の娘
ゴネリル
リーガン
コーディリア
三人の娘婿
オールバニー公爵
コーンウォール公爵
フランス王
リア王の家臣
道化
ケント伯爵
グロスター伯爵
グロスターの嫡子 エドガー
グロスターの庶子 エドマンド
日本向きな感じがする。
姉娘二人の描かれようがひどい。
道化ってのが洋モノにはよく出てくるが
王様を笑わせるという、ある意味
位の高い職業だったようだ。
こちらは誰も報われない悲劇。
どちらも思ったより下ネタが多い。
人間の強い「欲」が起こす
喜劇、悲劇。
アントーニオやコーディリアのような
自律的、道徳的な人物よりも、
シャイロックやエドマンドのような
しいたげられた故の強い欲を持つ人間が
より魅力的に描かれる。
それなりに読めたのですが・・・
名前が通っているほど
のめり込めなかった。
もともと小説ではなく、芝居用だからかもしれない。
原文の響きやリズムを理解できれば
また違う感想になるのだろうか。
機会があれば舞台でも見てみよう。
忘れないうちにメモ。
先月、森達也さんの講演を聞く。
テーマは
「メディアによって喚起される危機管理意識の危険性」
彼の本を何冊か読んで、
共感したり、なるほどと思ったり、ん-?と思うところがあった。
道を探している人、という印象だ。
彼の疑問や興味の向く方向が
かつて自分も何かを感じながらも
「こんなものなのかな」とスルーしながら
心の奥に気になっているものだった。
会場に現れた森さんは
真黒な無地のパーカーにカーキ色のカーゴパンツ。
なんですかその普段着は。
髪は写真や映像で見た時より短かいが、
整髪料等で整えてはなさそうで、顔色はどす黒い。
たぶん知らずに出会ったら、一瞬は
プラスよりマイナス印象が強く残るだろう。(スミマセン・・・)
しかし、マイクを渡され、会場をぐるりと見まわし
発声する彼の表情や目つきと声は
穏やかな、力強いものだった。
最近シンシュウのお呼びが多いとのこと。
シンシュウ?信州、長野県か?
いや会場はお寺だし真宗か。
講演の内容は、森さん自身「演歌歌手みたいなもの」
と言うように、種が限られているらしい。
いくつかの著作や雑誌、発言などと重なる部分が
多くあった。
さて、印象に残ったこと。
■報道について
オウム事件の当時、メディアで描かれる
信者の像は「凶暴凶悪」か「洗脳されたロボット」
の二つだったという。
両論併記しているようで、両論ともマイナスだ。
一方、森さんのドキュメンタリー「A」を見た
多くの人の感想は「普通の人」「むしろ優しい」。
このギャップはなぜか。
当時のメディアで、オウム信者を「普通の人」とすると
抗議が来て放送できなかったからだそうだ。
抗議の元は、テレビ局上層部 - 制作会社 - スポンサー - 視聴者だ。
なぜ、抗議するのか。
凶悪な事件を起こす人が「普通」であるはずがないからだ
異質であって欲しい、という希望にメディアが応えるからだ、という。
で、ここで思ったことが(講演時は言葉にならなかったけど)、
じゃあどういう報道をすれば良かったのか。
「怖い」→「なぜこうなったか」→「どう防ぐか」
知りたいのはこのことだ。
普通でむしろ優しい人間が
組織的な犯罪、殺人を犯す。
「凶悪人」「洗脳」以外の角度からも
怖れず、面倒がらずに、光を当てられれば
「なぜこうなったか」
がもう少し見えたのではないか。
森さんによると、オウム事件によって
通信傍受法などがすんなりと成立した。
国民を保護する目的はあるのだろうが、
「怖い」→「どう防ぐか」
にワープし、力づくのようで、納得しきれない。
諸刃の剣だ。
現状のテレビのシステムでは、オウムに限らず
企業や宗教団体等の批判は難しいのかもしれない。
でも、
報道とスポンサーの分離、
報道関係者と視聴者の知識と問題解決意識の向上、
理想的なメディアの形が明確ならば、
支障となる問題を一つずつ解決していけば
目標に近づくはずだ、と思います。
■モンゴルの喧嘩防止方法
人口の半数近くが首都に集中し、人口過密と遊牧民ゆえの
ナイフ所持率の高さから、ちょっとしたことで刃傷沙汰の
事件が多かったという。
そこでそれを減らすために決められたこと。
うっかりぶつかったり蹴ったりしたら、お互いが握手をする。
向かい合って手を握ると人は怒りにくい。
傷害事件がぐっと減ったそうだ。
これ、いいですね。
日本でそのまま同じことはできないだろうけど、
カメラや警備員によるセキュリティ強化という
人を警戒する方法より、ずっと発想が明るい。
その他、いろいろな話があった。
今回の公演、机があったのでメモをとってみた。
やはり記憶だけでは8割(!)くらいは忘れている・・・。
猫並みの記憶力だ。
とはいえ、写し間違いがあるかもしれないので
ここには書かない。
時々読みかえして考えよう。
今日は納会。
ついでに二次会。
終電一本前の電車に乗る。
寝過ごす。
最寄り駅の二つ先。
到着と同時に目が覚めるが
そこは終着駅でもあった。
向かいのホームは薄暗い。
折り返しの電車はもうない。
駅前はバスターミナルがある。
バスはもうないがタクシー乗り場はあった。
が、ここは終着駅。
すでにタクシー乗り場には20人以上の行列ができている。
待つのは好きではない。
たとえ到着するのが遅くとも。
私鉄電車の駅二つ。
歩けない距離ではない。
普段降りない駅なので土地勘は全くないが、
線路があるので方向だけはわかる。
歩く。
ダウンジャケットのファスナーを首まで上げれば
寒くはない。
片耳にイヤホンを差し、音楽を聞きながら
線路横の道を歩く。
線路横の道はすぐに脇にそれ、住宅街になる。
人通りはほとんどない。
思いのほか古く、大きな家が多い。
時々車の通る音がする。
住宅街を抜けると土手に突き当たった。
一級河川だ。
方向と近い橋を確認するため土手に登る。
線路は左。橋らしい明かりも見える。
右はやや遠くにやや明るい橋の街灯が見える。
空が広い。星がきれいだ。
ふと、土手を歩けば気持ちいいだろうと思う。
が、さすがに止めておく。
人がいるから怖いこともあるが
人がいないのも怖い。
全く誰もいないのが確実ならいいけれど、もし誰かいたら、
夜中に土手を歩くなんてどんな人か知れたものではない。
と、深夜の土手を歩こうとした自分を棚に上げつつ、
住宅街に戻る。
もしここで事件や事故にあったら、
なんてバカなことをするのだろうと
思われるだろうな、などと考える。
線路を越え、やっと信号機が点滅する道路に出る。
が、やはり車どおりは少ない。
こんな交通量の少ない道に橋が架かっているのかと
不安になりかけたが、歩道のついた車線表示のない橋にでる。
橋というものは、渡るときにわくわく感と少しのおそれを伴う。
橋を渡ったあたりが一駅目のはずだ。
地続きのところに来たおかげか、
碁盤の目の町並みのおかげか、少しほっとする。
あとは線路の高架沿いに行けば見慣れた風景になるはずだ。
自分のテリトリーに近づいたせいか
リラックスしつつ、でも足早に歩く。
歩き始めて約一時間、ようやく最寄りの駅に着く。
道に迷ったこともあるが、この間
電車でなら5分、電車賃は200円だ。
この200円の価値は高い。
200円呉れてやるから 歩けと言われれば、
体調や急ぎ具合にもよるが、歩く確率は
低くはないだろう。
電車って素晴らしい。
やれやれ。
「マリー・アントワネット」
2006年のアメリカ映画。
ご存じフランス王妃。
映像が明るく華やかでポップな感じ。
夜会や舞踏会はクラブかディスコで遊びのよう。
心の通い合わない夫、外国人の女たらしとの恋。
子供が産まれてからはオーガニックな生活。
物わかりのよい、「いい子」なセレブ妻といったところか。
結婚からベルサイユ逃亡?までを
歴史モノというより、普通の女性感覚として描いている。
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」
ビョーク主演。2000年のデンマーク映画。
公開当初から「報われない」「落ち込む」といった
感想をちらほら聞いていた。
心構えはあったものの、やはり衝撃を受ける。
主人公セルマが空想にふける時の
ミュージカルシーン以外は音楽や効果音はなく、
カメラワークはドキュメンタリーのようだ。
wikiによると「ドグマ95」という映画運動があるそうな。
アメリカ映画のように権利の主張や宗教がでてこず、
日本人の感覚には近いような気がした。
テーマやジャンルが一つに絞れない映画だが、
こちらの事情が変わったため、おそらく公開時とは
注目する所が違うであろうことがあった。
それは今、日本で始まろうとしている裁判員制度、
そして今も続く死刑制度。
裁判という問題解決制度は
主張すること、弁護士の技術-費用といった
正義、真実とは別の価値で結果が大きく左右される。
そしてその結果、一度確定した「死刑」は。
文字で書かれた法律が、巨大な壁となり
刑場までの後戻りのできない道になる。
こう考える機会になることが裁判員制度の長所かもしれないが
重大事件だけというのが反対だ。
ある程度、積み重ねというものが必要だと思います。
それにしても、ビョークの感情に直結した音楽も素晴らしいが
演技がすごい。
撮影当時の精神状態は大丈夫かと思うほどだ。
印象に残る映画。
アジカンのライブに行く。
酔杯ツアーのラスト。
ホールは満員御礼。
一曲目。
「藤沢ルーザー」が始まると、
一斉に観客の腕が体が動く。
壮観だ。
しおまねき、という蟹を思い出した。
そろそろと、蟹の仲間入り。
最初に3曲ほど歌って、ごあいさつ。
少しトークするかと思いきや
「アジアンカンフージェネレーションです」
と言ってまた演奏。
おーい。少し休みなはれ。
シャイでトークやパフォーマンスが苦手なロックバンド。
観客の男女比は5:5くらいでしょうか。
音楽以外の不器用さもまた魅力の一つか。
ほとんど休みなしの演奏が続く。
何曲歌ったのだろう。
後藤氏の声がヘリウムを吸ったかのように
少し高くなる。
声帯大丈夫でしょうか。
それにしてもアレンジが良いね。
音が楽しい。
ギターにベースにドラム、そして声。
必要最小限で、いろいろな光景が広がる。
曲順は最初の曲の後、
崩壊~君繋~ソルファ~ファンクラブ~ワールドワールドワールド
とアルバムを辿るように続く。
彼らの歴史の集大成。
最近の曲も好きだが、崩壊-君繋の曲も好きだ。
初期のころの曲が聞けるとは思っておらず
嬉しい誤算。
あっという間に終りの時間。
二回目のアンコールのあと、
「・・・ウエーブが見たい」と後藤氏。
一往復の波のあと、音の返礼。
最後はワールドワールドワールドと新しい世界。
夢のような時間は過ぎてしまうと夢のようだ。
今年発表した三枚のアルバムでは
夜を抜けた感があった。
力強い繊細さを持つ彼らの、
今年の活躍に感謝を。
そして来年の活躍を期待します。
最近のコメント